わたしといえど、人並みにオードリー・ヘプバーンに憧れました。
『ローマの休日』は何度も観ました。
そんなわたしですが高校生時代には『グローイング・アップ』に熱中していたものです。
これは、多分結果的にでしょうが、シリーズもんになったので、次作を楽しみに待つということもできたのです。
熱中が持続したのです。
第1作が15歳のとき。
20歳を過ぎるか過ぎないかの5作めがラストだったと思いますが、その頃にはそろそろこういった作品を必要としなくなっており、そこで打ち切りになったことで、見事に思い出へと移行したのでした。
ストーリー、キャラクター共に、平凡極まりないのです。
王道を行くラブストーリーの間にこれまたパターンのギャグを、デブちんがかますのです。
それにどきどきし、大笑いし、ラストで切なくなるのです。
何十年『水戸黄門』を観続けても、まだ続きが楽しみでしかたない、婆ちゃんの気持ちもわかろうというものですね。
この映画の卑怯なところ(念の為に断わっておきますが、この「卑怯」は誉め言葉です)は音楽で、50年代、60年代のアメリカン・ポップスは、妙に切ない気持ちをかきたてるものと相場が決まっています。
私より下の年代になるとどうかは知りませんが、私達の年代には生まれてもいないその頃の曲に、胸をしめつけられたり、思わず踊りたくなったりする感覚を持っている人間が多いようなのでした。
『ローマの休日』は何度も観ました。
そんなわたしですが高校生時代には『グローイング・アップ』に熱中していたものです。
これは、多分結果的にでしょうが、シリーズもんになったので、次作を楽しみに待つということもできたのです。
熱中が持続したのです。
第1作が15歳のとき。
20歳を過ぎるか過ぎないかの5作めがラストだったと思いますが、その頃にはそろそろこういった作品を必要としなくなっており、そこで打ち切りになったことで、見事に思い出へと移行したのでした。
ストーリー、キャラクター共に、平凡極まりないのです。
王道を行くラブストーリーの間にこれまたパターンのギャグを、デブちんがかますのです。
それにどきどきし、大笑いし、ラストで切なくなるのです。
何十年『水戸黄門』を観続けても、まだ続きが楽しみでしかたない、婆ちゃんの気持ちもわかろうというものですね。
この映画の卑怯なところ(念の為に断わっておきますが、この「卑怯」は誉め言葉です)は音楽で、50年代、60年代のアメリカン・ポップスは、妙に切ない気持ちをかきたてるものと相場が決まっています。
私より下の年代になるとどうかは知りませんが、私達の年代には生まれてもいないその頃の曲に、胸をしめつけられたり、思わず踊りたくなったりする感覚を持っている人間が多いようなのでした。